行ってきました! 期日前投票に。
本来の投票日は、仕事の都合で行けるかどうか分からないので、投票券が届いたら、自分の分を切り取ってお財布の中に入れておきます。これは、私の妻も、息子たちも同じ。
あ、今時間あるな、となったので、近くの投票所へ行って投票してくるんですす。実際、今までで投票に行かなかったのは海外留学中の1回くらいかな。
自分が小さい時、両親は選挙の投票の際は、必ず幼い自分も投票所に連れて行ってくれました。選挙権ということも分からない子供だったけど、お陰で選挙とはなんとなく大切なものなのだなと思わされていました。
両親は戦前の生まれで、太平洋戦争では苦労した世代です。国家に盲従した結果、国を亡ぼすことになった歴史を、その目で見てきた世代です。
朝鮮半島からの人々に対する、差別というものも肌身をもって見てきた人たちです。
特に北海道では、国策として水力発電所とかそのための導水路といった土木工事のために子供たちは朝鮮半島出身者を動員していました。しかし、土木業者たちは生粋の「大和民族」ではない朝鮮半島出身者は家畜以下の存在として見ていたのは事実です。彼らがどんな扱いをされていたのか、それに対して地元の人々がどんな思いで見ていたのか。それは、ネットを調べたり、図書館でしらべればいくらでも出てきます。
でも、そういう歪んだ社会を形成したのは国民が国家に盲従しつづけた結果です。一人ひとりが自分の考えを持たず、国家や大勢に迎合した結果です。
いまの若者の姿はまさしく、かつての大日本帝国の臣民、無能な大衆の姿そのものです。断言できます。
ひたすら、画一的な教育を受け、その枠の中だけで競争して満足する。外からの情報を有機的に取り入れる能力もなければ、まるで、アイボとかペッパー君みたい。ただ、規格品の中での優劣のレベル。
話を戻しましょう。
なぜ、私がこんなに「選挙」に拘るかというと、先に述べたように、私の両親は民主主義というものを大切にしていました。自分の手で獲得は出来なかったけど、アメリカに与えてもらえた民主主義を大切にしていました。その理由は先述のとおりです。
さらに、私は18歳の時にオーストラリアに1か月半のホームステイをし、大学院生のときには13か月の間同じく、オーストラリアの大学に留学しました。
彼の国は民主主義と選挙制度発祥の地であるイギリス連邦の一部です。民主主義を勝ち取るためにどれだけ苦労したかが民族に染みついているのです。
民主主義というものを理解している日本人はあまりいないと思います。民主主義における「選挙」とは国民が国家に対して行使できる「クーデター」を法律で認めているシステムなんですよ。
北朝鮮も、中国もロシアも、国民は国家の奴隷ですけど、日本やアメリカなんかでは「選挙」を通じて、国家を転覆させてもいいとはっきりと法律、特に憲法に定められている。
なので、私たち家族は必ず選挙にはいきます。
選挙に行かない、ボケナスは、私たち家族の奴隷です。